2016年度中学入試、小石川は台風の目に
「ここまで進学実績を伸ばすとは。来年度は台風の目でしょう。」都内中学受験関係者が語る。都立中高一貫校の最高峰、小石川中等教育学校のことだ。
府立五中を前身とし、戦前から理化学重視のエリート校として名を馳せ、戦後も日比谷高、灘高、開成高と共に、東京大学合格者数で全国首位を取ったこともある、全国屈指の名門校だ。
その小石川高校が、戦前の旧制中学校時代に回帰し、中高一貫教育を開始したのが2006年。幾多の困難を乗り越えて、学校は中高一貫校として完全に軌道に乗った。
少数精鋭集団から東大9名オール現役合格 小石川の進学力
卒業生157名の少数精鋭集団から、2015年度は東大に9名が合格。全員が現役合格というのは驚異的だ。
他に、京都大1名、東工大2名、一橋大2名、旧帝大6名、筑波大4名、東京外国語大7名、国立大医学部医学科6名など、国公立大の合計は72名。約半数が国公立大へ進学している。
難関私大にも強い。早慶上智は合計108名。1学年が157名であることを踏まえると非常に高い。しかも、難関私大も大部分が現役。例えば、早稲田大は59名のうち52名が現役合格だ。
東大現役合格率で筑波大附属高を抜いた
小石川中等教育学校の東大現役9名合格のインパクトは相当に強い。卒業生の数の違いから、2015年の東大の現役合格率で、ライバル校の東京学芸大学附属高校と筑波大学附属高校の数字を出してみた。
①6.5% 東京学芸大学附属高校
②5.7% 小石川中等教育学校
③5.2% 筑波大学附属高校
今春、筑波大学附属高校を東大現役合格率超えた。筑波大学附属高校は浪人合格が多く、近年は進学実績の低迷が止まらない。東京学芸大学附属高校との差もわずか0.8%の差にまで縮まった。この大学入試結果は、来春の中学入試で如実に反映されるだろう。
学芸大附属、筑波大附属から小石川へ共学志向層が大量移動
都内の中学受験関係者から「今年の結果を受けて、偏差値60オーバーの共学志向の上位層が、一気に小石川へ押し寄せそうだ」という話を聞いた。東京学芸大学附属竹早中、世田谷中、筑波大学附属中の人気が下がり、小石川に学力上位層が集中するという見方だ。
そもそも、東京学芸大学附属竹早中、世田谷中などは、厳密な中高一貫教育体制ではなく、中学・高校が分断されており、カリキュラムの一貫性はない。しかも、附属中から附属高校へ内部進学する際に、半数以上は他校へ放り出される。そのため、進学と同時に内部進学対策の塾に通わざるを得ず、効率の良い大学受験に向けた勉強ができないロスや、中学受験、高校受験、大学受験と3年ごとに受験をしなければならない負担の大きさが以前より問題となっていた。
それでも、東京学芸大学附属竹早中、世田谷中が一定の人気を保っていたのは、東京学芸大学附属高校の大学進学率がずば抜けて高かったからだ。都立復活以前の最盛期には100名前後の東大合格者数を出したこともあった。ところが、都立復権と共に進学率は下がる一方。今春は現役東大合格者数が近年最少の22名。来年以降はさらに減る可能性が高い。
筑波大学附属中学校も、附属高校とカリキュラムでの中高一貫教育は行われていないため、中高一貫教育の良さは半減されてしまう。進学実績は現役の東大が9名と下がるところまで下がり、全体の合格者数で1桁に転落するのも時間の問題なのが現状だ。
小石川中等教育学校は、国立大附属とは異なり、完全中高一貫校で、私学と全く同じ先取り型のカリキュラムを組んでいる。さらに、国立大附属では用いることができない、検定外教科書を用いている。数学では私立中高一貫校で最も採用率が高い「体系数学」を、英語では、麻布中高などの難関私学で採用されている「Birdland Junior English」を使用する。小石川が大学進学率で国立大附属と並んだ今、小石川の教育内容での優位性は明らかで、2016年度の中学入試では、小石川中等教育学校に共学志向の学力トップ層が集中することは確実な状況だ。
6年後は「東大現役20名オーバー」で共学最難関校化
間違いなく、小石川中等教育学校は今後何年かで、東京都内の共学校で最難関校になる。国立大附属志向のトップ層を取り込むだけではない。小石川中は私立志向の家庭にも支持される学校であることを忘れてはならない。共学志向の私学上位校の選択肢は少ない。渋谷教育学園渋谷中学校ぐらいしか都内にはなかった。同校は今春、東大合格者数を伸ばし、小石川と共に共学難関校として注目されている。
渋谷教育学園渋谷中学校は、都内の一等地に立地する優位性がある一方で、校内が大変狭いため、運動が好きな男子からは人気が薄い事情がある。小石川中は十分な広さの校庭や校舎の敷地があり、運動部も活発だ。共学志向の男子受験生の中では、渋渋と小石川が対照比較され選ばれていくだろう。
繰り返すが、2016年度入試は一気に小石川が難関校化し、今までよりもハイレベルな生徒層が入学することとなる。彼らが高校を卒業する6年後は、160名の少数精鋭集団から、東大に現役で20名オーバー。浪人を入れて30名前後は輩出されるようになる。私学も含めて、東京都内の共学最難関校になるのは間違いないだろう。
小石川は初代校長、伊藤長七が生んだ”私学”
ところで、小石川中等教育学校は、都立であるが”私学”でもあることはご存じだろうか。1918年、旧制、東京府立第五中学校が創立。その初代校長として就任したのが、大正自由主義教育で著名な伊藤長七であった。伊藤は、当時の教育界の常識を次々と打ち破る破天荒な教育者。役人・軍人エリートの育成を目的とした旧制中学校のあり方を否定。キューリー夫妻、エジソン、野口英世といった名前を挙げ、理化学教育の重視による科学者の育成を掲げる画期的な学校であった。全国で初めて女性教諭を採用したり、伊藤が常々に語っていた言葉が、「立志・開拓・創作」の精神であった。自ら、中学校への入学を志願し、学問を始める志を立てる。これが立志である。自らが進む道を、自分で切り拓いていく。これが開拓である。そして、他人にはまねのできない、何かを創りだす。これが創作である。この言葉は、小石川の教育理念を支える三校是として、今日まで脈々と受け継がれている。伊藤が作詞した校歌にも、これらの言葉が盛り込まれ、今日も歌われ続けているのだ。
何もかもが豪勢な時代であった。伊藤長七は、国際的教養の必要性についても熱弁した。彼自身、ヨーロッパからシベリアまで、数多くの海外渡航を経験しており、アメリカ・ハーディング大統領と単独で面会することに成功した逸話も有名だ。小石川中等教育学校となった今日にも、国際教育は理化学教育と共に教育の柱だ。中等2年次の国内語学研修に始まり、中等3年次のオーストリア海外語学研修、そして中等5年次のシンガポール・マレーシア海外修学旅行で一つの完成をみせる。計算しつくされた6年間の教育プログラムは圧巻だ。
↑「小石川の理化学教育」は戦前より有名だ。白衣・実験用めがねは入学者全員が購入。半世紀以上、改訂されながら受け継がれてきた学校独自の実験テキストを用いる。その特異な教育は、「小さな大学」と称されることも。
小石川への進学は、伊藤長七の教えを受けるということ
伊藤長七と現在の小石川をつなげるものはまだある。例えば、前期課程で着用されるブレザー型の制服は、伊藤長七が、詰襟制服は胸元を圧迫し自由な思考を阻害する」との特論によって、戦前としては珍しい背広の制服を導入したことに由来する。今日、多くの受験生が学校見学するであろう芸能祭や創作展といった行事も、伊藤長七の発案だ。伊藤の故郷、信州には、同窓会に寄付され受け継がれている土地があり、理科教育などでも使用される。80年以上の時を越えて、伊藤長七の教えは深く、学校に根付いているのだ。
小石川へ進学するということ、それはすなわち、伊藤長七の理念に共感し、教えを受けることに他ならない。中学受験に詳しい森上展安氏は、小石川を「伊藤長七の思いが受け継がれている、私学よりも私学らしい学校」と述べている。私立学校研究家の本間勇人氏は、都内の中高一貫校の中でも、21世紀型教育を行う数少ない”私学”だとして、小石川を以下のように評している。(以下、引用)
「小石川中等教育学校は、垂直交流から水平交流へという教師と生徒のコミュニケーションの改善、システムや教育環境の改善、入試制度の改善といった改革をベースにしたうえで、徹底した読書指導をして、それをサポートする学習センターとしての図書室の機能性が極めて高い。さらに教科横断的指導が当たり前に実施され、新書の読書習慣を徹底している。それを学習拠点としたうえで、小石川が創立以来一貫した教育方針でおこなう独自の理数教育。スーパーサイエンスハイスクールとしての成果は非常に順調。国際物理学研究コンテストで、毎年のように受賞者や入選者を出している。論文はもちろん英語。そして、小石川ではその指導を理科の教師が行える。受賞者はポーランド科学アカデミーで一ヶ月の留学チャンスを得られる。従って英語教育も非常に質が高く充実。中学3年の2週間のオーストラリア研修があるから、中学生はそれを目標に英語教育を受ける。小石川の教育は、良質な私立学校の教育のそれとまったく変わらない、しかも大切なのは、学費が一切かからないということだ」
小石川中等教育学校が、伊藤長七の理念を脈々と受け継ぐ”私学”であり続ける限り、中学受験市場での小石川の人気は不変であろう。その躍進は偶然ではない。必然であった。
【関連リンク】